信仰心の浅い壮年の神職でございます。
自身の信仰心を高める為、穏やかで平坦な道のりを機関銃背負って匍匐前進で泥に塗れて進んでる気分でおります。
信仰心について日頃から思いを巡らす私でございますが、ある一定の線があって、その線より上に位置する人の方が、信仰心があると思うようになりました。
その線は幸福かどうかで、もちろん位置は人それぞれです。
幸福度が高いということは現状に満足しているということです。
現状に満足し「今の生活は幸せだ」と思うことができたならば、信仰心も上がりやすくなる、もしくは信仰心が自ずと上がってくる。
ということになるのではないでしょうか。
信仰心があるから幸福なのか、
幸福だから信仰心があるのか、
信仰心があると幸福になりやすいのか、
宗教教育を受けずに育ち、一生懸命仕事をされている方に「あなたは神の力によって生かされている」なんて言ったら怒られるのも致し方ないことではないのか。
そこで怒る人は幸福にはなれないのか。
今回は幸福度に焦点を当て、信仰心について考えていきますので最後までお付き合いいただけたら大変嬉しく思うとともに、ご自身の幸福度も鰻登りで豊かな生活が送れること請け合いでしょう。
幸福論
世の中には沢山の幸福論が存在します。
なかでも三大幸福論と呼ばれるものがありますので軽ぅく覗いていきましょう。
アランの「幸福論」
幸福になろうと思わなければ、幸福にはなれない
そしてまずはマイナスの部分を無くしましょう。
情念にとらわれてはいけない。
情念は人間の想像力を掻き立てます。
情念とは先の未来を必要以上に悪く考えてしまうことです。
考えてはいけない、行動する。
これは良くわかります。イライラしている時や、不安な時など悪い想像が止まらなくなってしまうことがあります。
こんなことしたら皆に笑われるんじゃないか、あの人は私のことが嫌いなんじゃないかと。
そういった時は深呼吸でもして落ち着いて、さっさと行動してしまいましょうと。
アランさんはそう仰っております。
ヒルティの「幸福論」
信仰や信念を持って生きることが幸福につながる
これは個人的にかなり興味深いですね。
ヒルティさんは熱心なキリスト教徒です
有名な名言の中の一つに「我を忘れて自分の仕事に没頭することのできる働き人は最も幸福である」があります。
仕事でも趣味でも自分とは別の「何か」に夢中になれればそれこそが幸福だということでしょう。
そして人間の生活には必ず不幸がつきまとう。不幸に立ち向かい、乗り越えた時人間に深みが出ると仰ってます。
ただボーッと生きてきた私の薄っぺらさの原因は不幸が足りなかったのだと確信しました。
ラッセルの「幸福論」
まずは不幸の原因から、その最たるものはネガティブな自己没頭。
自分自身に囚われすぎるのが不幸の原因であり、自分の関心を内へと向けるのではなく、外界へ向けてあらゆるものに好奇心を抱く事が必要だといいます。
そして幸福を呼び込むために思考のコントロールです。
「悩みを宇宙規模で考える」「無意識へ働きかける」「比較をやめる」
誰もが簡単に踏み出せる一歩を重ね、マイナスをプラスに変えていきましょうと。
やり方は違えど、皆さん幸福になるための努力をしましょうと、心と体の使い方を教えてくれています。
現状に幸福を見出だせなければ幸福にはなれない。
これは今の幸福度の線を自分よりも下に作り出す考え方ですね。
とてもポジティブな考え方で、うまくすればすぐにでも幸福になれます。
これで良いんだ。っていうある種の「諦め」も幸福になるためには必要なのかもしれません。
おわりに
このブログを書くにあたって幸福を考え、世界三大幸福論を調べることにより私は確実に幸福に近づきました。
ここにたどり着いたあなたも幸福になりたいと少なからず思っていることでしょう。
そしてここにいるということは既に幸福な未来に向かって歩き出しています。
そしてその先に信仰心のあらんことを。