私、信仰心の浅い壮年の神職でございます。
日々大神様に御仕えし、厳かな人間になることを目指して生きております。
そしてとうとう「厳かな人間」に近づく方法を見出しました。
それは神道の思想の中、私のすぐ近くにあったのです。
天地の創造 歴史の始まり 万物の祖との出会いのように衝撃、壮大、かつ繊細なものでした。
発表しましょう。
それは「人に舐められない」ことです。
その方法は簡単で「無表情、無愛想」です。
しかしそれだけですと舐められはしませんが、冷たい人だと思われてしまうかもしれません。

私は人に嫌われたくないのです
そして私は全てを解決する方法を神道の中に見出しました。
閃いて舞い上がり有頂天チンパンジーのようになっている私をご想像いただけますでしょうか?
その通り、私は「舐められる」側の人間なのです。
今回はそんな私が人に舐められず嫌われず、厳かな人間に近づく為に気をつけたいことを神道にこじつけながら考えていきますので「舐められたくない」と思っている方は参考にしていただけたら幸いです。
舐められる側の人が何言っても説得力がありませんよ。

後で書きますが、私は舐められない時間帯があります。
なので両方の気持ちがわかるのです。
舐められる人の特徴
まずは舐められる人の特徴を知っておきましょう。
・自分に自信がない
・意見を言わない
・小さい声で話す
・あたふたしている
・挙動不審、落ち着きがない。
・人の顔色を伺う
・お人好しな雰囲気が出ていて、実際に優しいなど
人に嫌われたくないという思いが強く、自分を犠牲にした優しさを振りまきます。
そして「この人ならこのくらい言っても大丈夫だろう」などと思われ、それが重なり、結果「舐められる」ことに繋がります。
相手から「この人に嫌われてもそれほど被害がない」と思われているということですね。
舐められない人になるために
堂々として自分を持ち、いい人になりすぎない。
自己犠牲の優しさを無くし、できないことはできない。ダメなものはダメとしっかり伝える。
「舐めんじゃねぇ」という気持ちをしっかりと持つことも大切です。

しかし、トゲトゲした印象をだして周りの空気を壊したくないですし、人に避けられたくはありません
大事なのは優しさの意味を履き違えないこと。
相手の為になる優しさを考えることです。
神道に学ぶ舐められない人
神社に行って神主に舐めてかかる人、見下す人はあまりいないでしょう。
私も神主の衣装を纏っている時は「舐められている」と思うことはほとんどありません。
それは神社という場所、大神様の御前にて、私も含め皆様が謙虚な気持ちになっていることはもちろんですが、神主が堂々と動く、低い声でゆっくり祝詞を奏上する。ことにあると思います。
詳しくお伝えしますと長くなってしまうので今回は割愛しますが、私たち神主は祭儀の間、歩き出しや段差で足を動かす順番、それも自身が今いる場所によって変わり、お辞儀の角度、細かい作法まで全てが決められております。
それを大神様に失礼のないよう、音を立てず、ゆっくり静かに進めます。
そして同時に参列されている方がジッと見ています。
前からも後ろからも見られているという緊張の中、動きや、発言も間違えないように振る舞う。
そこに「厳かさ」が生まれ、「舐められない」に繋がります。
おわりに
人はもちろん神様、万物に見られていることを意識し、身だしなみを整え、背筋を伸ばし、ゆっくりと落ち着いて行動し間違いを減らす。
これだけで世界は大きく変わるでしょう。
古事記の中に「因幡の白兎」という神話があります。
後の大国主命が幼き頃、兄の神様たちに舐められて、荷物持ちをさせられていたという話です。
日本の神話を知ろう!二分で分かる!「古事記」の超有名所。超簡単解説!
そこにあるように神様も相手を舐めますし、動物も人間だって同じで、もはや本能です。
「舐められたくない」と思うことは当然です。
しかし必ずしも相手よりも強く、賢くなくてはならないわけではないのです。
自身の中に神様を感じ、厳かに行動できたならば、その時に「舐められない」厳かな人間になっていることでしょう。