私、信仰心浅い壮年の神職でございます。
とある片田舎の小さい神社で神主として大神様にご奉仕しております。
私がご奉仕する神社ではヤマトタケルノミコトをご祭神としてお祀りしております。
そこで本日は難局打開の伝説的英雄ヤマトタケルノミコトを皆様に知っていただきたく筆をとる次第でございます。
『古事記』には倭建命、『日本書紀』には日本武尊という名前で登場しますが、どちらも「やまとたけるのみこと」と読みます。
ヤマトは国の名前、タケルは勇猛な人という意味です。名前の最後につく「命」、「尊」(みこと)は、飛鳥~奈良時代に神や高貴な人の名に添えられた敬称です。

目次
小碓命
小碓命(おうすのみこと、後のヤマトタケル)は第十二代景行天皇の息子として誕生します。
ある日、父景行天皇が「あそこの美人姉妹を連れて来い」と双子の兄の大碓命に(おおうすのみこと)に告げました。
そして美人姉妹の元に向かいます。

うーわ、めっちゃ美人さんやー。
父上のとこには他の娘あてがって、この子達は我がよろしくやっちゃおー。
そして食事の席にも姿を見せなくなった大碓命。

大碓命は美人姉妹を横取りした上、食事の席にも顔出さなくなりおった。
小碓命よ、ちょっと行って諭してこい。

わかりました。私が諭して参ります。
4日日経ち、5日日たち、それでも大碓命は姿を見せません。

小碓命よ、大碓命はちっとも顔を出さないじゃないか。

しっかり諭してきました。手足を切り裂いて袋に入れて捨ててきました。
それを聞いた景行天皇はビックリ通り越してドン引き。小碓命を恐れるようになりました。
そしてあまりに恐れるあまり小碓命を自分から遠ざけます。

小碓命よ、九州に行って熊襲を平定してきてはくれんかの?

父上の命令とあらばこの小碓命、熊襲を平定してまいります。
お国の為に戦えると喜び勇み、叔母である倭姫に報告すると、お守りに女性物の着物と短剣を授かり出発しました。小碓命16歳の時でした。
熊襲平定
九州は熊襲(くまそ)に到着。小碓命はまず、地形や国の様子を探らせます。
戦に強い熊襲兄弟が指揮を取っていることもあり、厳重に警戒しています。
小碓命は数人の家来を連れ、本拠地の様子を見に行ったところ、新築祝いの宴の準備をしている真っ最中。

これはまたとないチャンスだ
と、倭姫から授かった着物に着替え、髪を下ろし、短剣を忍ばせます。
そして女中の中に紛れ込み宴に潜入しました。小碓命はとても美しい顔をしていたのです。
すると熊襲タケルが

おい、そこの美しい娘よ。おいらの隣に座れ

承知でありんす
小碓命を隣に座らせます。
宴もだんだん盛り上がっていき、大勢酔っ払っていました。
熊襲タケルが小碓命を自分の膝の上に抱きかかえようと、腰に手を回そうとしたその時、

小碓命は熊襲タケルの襟を掴み、隠し持っていた短剣で胸を刺しました。

お前は誰だ

私は大和の国から天皇の勅命により、お前たちを倒しに来た。王子の小碓命だ。

そうか。我らはこれまで数多くの敵と戦ってきたが、西国で我らよりも勇ましいものはいなかった。
大和の国にはこんなにの強いものがいたのか。

ぜひ、名前のタケルをもらって頂きたい。

よかろう
小碓命は大きく頷き、胸を突き通してトドメをさしました。

この時から小碓命は倭健命(やまとたけるのみこと)と名乗ることとなりました。
倒した相手の名前をもらう。こればっかりは意味がわからない。と、思うのは私だけでしょうか。
そして、大和の国に帰る途中にも、民を苦しめている悪人が大勢いたので、各地を平定しながら帰路につくのでした。
偽の刀でだまし討ち
倭健命は出雲の国を平定しようと思いました。
そこでまず国の長である出雲タケルを訪ね親交を深めます。
出雲タケルはすっかり気を許し、肥川(ひのかわ)で共に水浴びをすることになりました。燦々と日の輝く河原にて、倭健命が衣服を脱いで、水に入りました。
出雲タケルも続いて川の流に身を清めます。
しばらくして、倭健命が先に川から上がり、衣服を身につけると、出雲タケルの刀を手に取り

いい剣を持っておいでだな、私の剣もなかなかのものだが。どうだ?交換しようじゃないか。

よかろう。それも面白い。
出雲タケルの身支度が済むと、倭健命は

かねがね、貴君と一度立会をしたいと思っていたのだ。
丁度いい機会だ、ここで試合をしようじゃないか

よし、望むところだ。
二人は左右に別れ、倭健命はすらりと刀を抜いて

来いっ

うっ!?剣が抜けない。
実はその刀は倭健命が密かに作らせておいた木刀だったのです。
そして倭健命は出雲タケルを深々と切り下していました。

戦略ですね。戦略ですかね。
ちょっとズルいんじゃあないかなーと思うのは、私が正直者で真っ直ぐな性格だからでしょうか。
草薙剣
倭健命は西方の荒ぶる者共を鎮定し、景行天皇にその様子を意気揚々と話しました。
ところが景行天皇はますますドン引き。
倭健命を恐れます。

お前の武勇のおかげで西の国は鎮まったが、まだ東方には荒ぶる神が大勢いる。
ご苦労だが、今度は東方十二国を平定してまいれ。

ありがたき幸せでございます。
「おお、なんと勇ましいことか。それではこれを授けよう。めでたく帰る日を待っているぞ。」

おお、なんと勇ましいことか。それではこれを授けよう。めでたく帰る日を待っているぞ。
倭健命は比比羅木の八尋の矛を授かり、出陣しました。
途中伊勢神宮に立ち寄り武運を祈った後、叔母の倭姫に心中を打ち明けます。

叔母上、陛下は私などいなくなってしまえば良いとお考えなのです。そうでなければ、凱旋して間もない私に、僅かな兵で東方を平定せよなどと命ぜられません。私のことを遠ざけておられるのです。

いいえ、そんな事はありません。あなたの武勇をお信じになればこそのことです。
倭姫はそう言って倭健命に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を授け、

危ういときに開けなさい
と、ひとつの袋を手渡しました。
倭健命は尾張の国の長の娘であり、副将軍の建稲種命の妹である宮津姫と結婚の約束をした後、さらに東に進み各地で命令に従わない豪族を平定していきます。倭健命が相模の国に入った時、その土地の豪族が言いました。

この野原の真ん中に大きな沼があるのですが、そこに住む神が荒れ狂っており困っています。
ぜひ退治して頂きたい。
倭健命がその野原に分け入っていくと、突然周りから火の手が上がります。
何者かが野に火を放ったのです。
神の退治を願い出たのは、倭健命を亡き者にしようという豪族の計略だったのです。
異変に気づいた時、あたりはもう火の海でした。
この窮地に叔母から手渡された袋の存在を思い出します。開けるとそこには、「火打ち石」が入っていました。倭健命は、剣で周りの草をなぎ払い、火打ち石で火を付けます。
するとこれが迎え火となって周りの火を押し返し、ことごとくその賊共を焼き滅しました。

この故事にちなんで、その場所は焼津という地名になりました。
そしてこれより天叢雲剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ぶようになったといいます。
更に東へと進んでいきます。
相模の国から上総の国に渡るので、浦賀水道に出ました。
この海峡を渡るために船に乗り、海の中ほどまで来た時、急に風が強く吹き始めました。
波が高くて船は進むことも戻ることも出来なくなってしまいます。
この時共に旅をしていた妻の弟橘姫が

今風が起こり、波が荒れて船は沈みそうです。これはきっと海の神の仕業です。
私が海に入って海の神を鎮めましょう。
そう言って波の中に沈んでいきました。
すると嘘のように波は収まり、船を進めることができたのです。
最愛の妻を失った倭健命は、しばらくの間この地を離れることができませんでした。
すると7日目になって姫の愛用していた櫛が海辺に流れ着きます。
その櫛を手に取ると、心のなかに姫の声が聞こえてきました。

さあ、いつまでも悲しんでおられないで、ご指名をお果たしなさいませ。
ようやく吹っ切れた倭健命は、この地に姫の御陵を造り、蝦夷征伐へ出立するのでした。
その後、倭健命は、船に大きな鏡をかけ、蝦夷の支配地に入りました。
蝦夷の首領たちは、威風堂々としている倭健命の船団を見て、勝てそうにないと降伏します。
こうして倭健命は東の国をことごとく平らげました。
後半へ続く、、、