除霊の依頼
ある日、家族に厄災が重なるのでお祓いしてほしいとのご依頼がありました。
現場に向かう車内。私は厳かな神主の仮面を被ります。
その御宅へ行き、御供物、玉串(榊の枝に紙、麻をつけたもの)などを準備しつつ、ご主人から話を聞くと、車での事故やご家族の怪我などが続いているということでした。
「神主さん、何か見えますか?」
私は正直に答えます。
「私は霊感がないので、何かが見えるということはありません。もしも何かがいたとして、そちらにここから出て行っていただくというよりは、このお家の守り神様、ご先祖様や氏神様に守っていただく。そういった内容の祝詞を書いて参りましたので、その由を神様にお伝えいたします。」
そう伝えて神事を斎行致しました。
私が何より心がけていることは、困っているご家族の方のお話をしっかりと聞くことです。
そして夜。
友人との飲みの席。本日の出来事を話しながら
、とぼけた声色で
「祓えたかなぁ」
これがウケるんです。

道
神道とは[道]です。
人が人として真っ当に生きてゆく為、歩んできた道なのです。
教祖もいなければ教義、教典もなく、布教活動も致しません。
日本人の長い歴史の中で培われてきた自然信仰。万物を敬う和の心です。
私はとある小さい神社で大神様にお仕えする神職でございます。
社家に生まれながらも運命に逆らい、東京へ逃げ出すも何もできず、あっさり帰って家業を継いだ、ただの人間です。
しかし五年経ち、十年経ち、神道の奥深さ、神様の尊さ、世界の美しさを少しづつ感じ始め、厳かな人間への憧れを抱いている今日。
自身の信仰心を高め、神道関係の勉強にもなると思いブログを始めて一ヶ月が経ちました。
自分の中の信仰心と向き合う時間が多くなり、一つの答えとも言うべきものを見出しました。
それは信仰心があるふりをする。
つまりは厳かな神職の仮面を被るということです。今のところそれしかできません。
日本社会においてほとんどの人間が仕事をしています。
働いてお金を稼ぐ、だけではなく家事や育児、学業など、その方の務めを全うしていることと思います。
その中のどんな職業であっても、その職業の仮面を被っています。
医者、教師、政治家。なりきることによって相手に安心感を与えますし。結果、自身の成果につながります。
ONとOFFの使い分けが大事だ。
なんてこともよく耳にします。

神様神様
しかし私たち神主や僧侶などの宗教家はそれではいけないような気もしています。
寝ても覚めても神様神様。プライベートなんてそっちのけ。
社殿で参拝者の携帯電話など鳴ろうものなら、歳上だろうとなんだろうと怒鳴り上げ
「大神様の御前ですぞ。この不届き者め。」
とか、心の底から神様を敬っていなければ出てこないセリフだなと思います。
心根の奥底から神様を敬っているつもり。
厳かな神主のふり、装っている私がやっていることは人を騙していることにつながるのではないでしょうか?
見えてもいないものを祓って、開運だ安産だと言って人を集め、初穂料やお賽銭を集める。
もちろん皆様神様に奉納してるわけですが。

道
神道とは[道]です。
私や皆様方、日本人が歩くべき道なのです。
神様はもちろん、周りの人、自然、万物に敬意を払い感謝を捧げる。
そして神様の恩恵を授かり、人生を清く、直く、正しく生きる。
これがブログ開始一ヶ月目の私です。
そして、おそらくこれからも
「俺が神主やってんだから、もう神もへったくれもないよね」
なんて言ったりもします。
これがまたウケるのです。