前回の歴史

神道の源流 縄文時代
神道は、日本列島において自然発生的に形づくられてきた民族宗教です。なので、この時点から生まれたというように、起源を明確に特定することはできません。長い日本列島の歴史の中で、次第に培われてきた信仰とみるべきであります。
アニミズムってやつですね。
しかし、縄文時代の早い頃には祭祀や儀礼のための構造物や建物もあったようでありますし、人が亡くなると丁重に埋葬することも、早い時期から行われていました。縄文時代の人々はすでに、人間の死と霊魂についての観念を持ち、人間の力を超えた存在を認め、それに祈りを捧げていたのです。
弥生時代の祭り
弥生時代には様々な祭りが行われており、村の指導者や小国の王がつかさどりました。中でも農耕のの祭りは特に重要だったと思われます。
古代人の神観念
日本人は古くから、人間の力を超えた存在をカミと呼んで恐れ、敬ってきました。しかし、カミという語の概念や発生については、全てが明確になっているわけではありません。
定義については、本居宣長のものが最も優れています。
世の常ならずすぐれたる、徳のありて畏きものをカミとは云うなり
カミとは、世間一般ではない、何か卓越した力を持ち、恐れ畏むべきものを示す語として用いられてきました。その対象は、神話に登場する神々や、神社に祀られる神霊ばかりでなく、特殊な能力を持った人間であったり、鳥や獣、木草の類、海山、その他様々なものであるなど、実に広い概念であったというほかありません。
夜刀の神
古代人の神観念を伝える興味深い物語があります。
遠い昔、常陸方面(茨城県)に箭筈氏の麻多智という人物がおりまして、ある谷の葦原を開墾して水田を作りました。しかし、そこに夜刀の神がゾロゾロ出てきて、しきりに農作業の邪魔をしました。
夜刀の神とは、そのあたりに住むヘビのことで、地元の人々はヘビを夜刀の神と呼んで、ひどく恐れておりました。その一帯が開墾されないで、葦原のまま残されていたのも、おそらく夜刀の神を恐れて誰も手を付けなかったためでしょう。
だが麻多智は恐れませんでした。自ら鎧を身につけ、矛を手にって、ヘビ共を追い散らしました。そして山の中まで追い込んで、そのふもとに堀をつくり、境界をしめす杭を立てて、
ここから上は神の領地とする。だがここから下は人の田として。農耕の妨害をしないように。今後は私が神主となって長く後の世まで敬い祀ることにする。だからどうか祟ったり恨まないでくれ。
と宣言しました。そうして神社を設けて、以後、代々にわたって祭祀を続けたといいます。
この物語には、地を這うヘビそのものを「威力あるもの」「恐ろしいもの」としてカミと崇める地元の人々の原初的な神観念が示されています。自然の威力をひたすら恐れ、ただ、それにひれ伏すだけの態度であります。
麻多智はヘビそのものをカミと見る観念から離れ、それらのヘビの動きを支配している目に見えない神霊こそ、神の本体であると考えたのです。そして、その心霊を丁重に祀ることで、ヘビによる農作業の妨害を防ごうとしたのです。その際、神霊は人間のまごころを込めた祭祀を嘉したまうとする信仰が、前提になっていた。ここに明らかに神観念の発展を認める事ができます。